あなたは、
存在するゆえの直感を持つ、
原理への反応系です。

非規定で、行使を。

2017年03月18日

スタティック・フローとダイナミック・フロー。数に普遍性がある場合。

タイム・スケールの長いコンテキストは
「スタティック・フロー(静的な流れ)」で、
生命による活動力は「ダイナミック・フロー(動的な流れ)」。
この差から「有効な変化」を得る方法を考える。

数には普遍性が存在する。

いま読んでいる、一般の書店で購入できた数学の本でも、
ガウスのcongruence(合同)で「火曜日」の説明のため、
テーマの共有の方法として、
ユリウス暦の始まりである紀元前4713年1月1日の話題が出てきている。
(参考:「ゼロから無限へ」 コンスタンス・レイド著)

これは、「数を表で現わす」方法の一つである。
つまり、「数の分布は数学の対象である」例の一つである。
「現わす」と書いたのは「手法(+−*/)」が可能だからである。
また、ガウスはそのための記号を新たに創った。

タイム・スケールについて、数の分布が存在する。
なぜなら、数学の存在は否定されていない。

よって、テーマの「有効な変化」への手法は少なくとも一つ存在する。
それは数である。


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2017年03月16日

天体の理念。ある道具からある道具へ。

「現在」という語を
「現象界に実在するための技術を含む」と読み替えてみる。
私は特に問題を感じない。

縄文時代の人々は、土器(道具)に縄(道具)で模様を現わした。
現在と同様、彼ら(彼女ら)にも夜があり、夜には星々が輝いていた。
それらを関連づけてしまうのは、私の好奇心の傾向とは思うけれど、
他にも関心を持つ人々はおられた。

食事しよう。食器は土器であるかどうかはともかく。


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2017年03月14日

第一図式法、第二図式法、第三図式法。

ニーチェと夏目漱石への考察を肯定した場合、
さらに第二図式法にゲーム理論を適用することを肯定した場合、
算出される勢力は大変大きい。
しかしながら、第一図式法は、現在も基本的な訓練方法である。

ニーチェに
http://blog.potential-performers.com/article/179002033.html

夏目漱石に
http://blog.potential-performers.com/article/179072193.html

これから私は第三図式法で第二図式法を支える。
現時点でいくつかの反作用が私の社会生活でも観察されている。
これは第二図式法を知る人々にも同様と仮定することを否定できない。
であるので、第三図式法は秘密のままにする。


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2017年03月13日

変化への先験的取り組み

夏目漱石が弟子に
「良い小説を書きたいなら数学を学びなさい」と伝えたことを
かつて聞いた。
それで、当時私は、
日本語と英語の「我輩は猫である」の書籍を購入した。

「我輩は猫である(I am a cat)」で、
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」を認識するなら、
自覚(I)に「知性的実在」を得たと認識できる。
これにより、
「猫は知性的実在である」という「系の一回目の置換」。
「a cat」で、
「全ての知性的実在の特殊例である」という「系の二回目の置換」。

「名前はまだ無い(Yet I have no name)」で、
「社会における知性的実在の認識はまだ不十分である」という
「系の三回目の置換」。
これを夏目漱石は一行でやってのけた。
その一行の間、「日本語(英語)自体」に変更は加えられていない。

私がガラス玉遊戯の図式法に行なっている
「所有している数学の本(における成果)の適用」は、
これに似ている。

しかしながら、残念なことに、当時、
働きながらガラス玉遊戯の実現に取り組んでいたため、
「我輩は猫である」については、読み進めることができなかった。

夏目漱石(漱石夏目金之助)や森鴎外(鴎外森林太郎)も、
明治において、
古来の日本の英知と近代化のための西洋の英知の関係の解決を
目指したのだと私は認識しているけれど、
「明治にそのような挑戦があった」との認識から出発し、
タイム・スケールをさらに大きくとった当時の私の取り組みを、
人生の時間が有限であることから、
私は否定はしない。
恩師井手賁夫の精神性(真実への信念)の影響もあったと思う。
私が20代のころである。

一方、、
私は「(江戸時代におけるアメリカからの)黒船来航以来の出来事」に
匹敵する変化が現在起きていると認識している。
ニュース記事から取得される変化を見ると、日本人総体として、
この変化に応じる意欲ないし意思決定をしたように感じられている。


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「先験的な目的の一つ」への「数学的補助手段(先験的補助手段)」

ある数学の本を基礎的な説明である前方からと、
結論である後方から交互に読んでいた。
ある「先に解きたい他のテーマ」が得られたので、
数学の本の「問題」で答えを見た。
「解ける部分は解いて、解けない部分は未解決と答える」
のが答えだった。
これは少なくとも数学としては「正解の一つ」であると思う。

なぜなら、(カントの「純粋理性批判」によると)
「数の総合はあらかじめ先験的」であるので、
「未解決な部分」が「先験的な目的の一つ」である時、
「数学的補助手段(先験的補助手段)」が述べられれば正しい。
「数学的補助手段」は「既存の成果」を含む。
そして、現在読んでいる章の特徴でもある。

先験的(ア・プリオリ)という言葉を続けたので、
私自身の課題について経験的(ア・ポステリオリ)の領域を「見て」みた。
「先に解きたいテーマ」は
「第三図式法と数学の関係を検証するために用意した系」であり、
これが「消える」ことを期待していた。
消えた。


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