あなたは、
存在するゆえの直感を持つ、
原理への反応系です。

非規定で、行使を。

2012年04月01日

KN法(KyouNissho法)

発想ないし思考を柔軟に広げ、あるいは整理する方法として、
8年ほど前に私が考案した「思考のツール」があります。

KN法(KyouNissho法)と名づけています。
※独自考案の発想法に自分の名前をつけるのは普通のことです。

使用法はごく簡単で、他者ないし自分の思考が、
以下の三要素のどれにあてはまるかを明確にし、不足を補う、
というものです。

【三要素】
・目的 ・方法 ・理由

例えば、「これからは食生活が大切だ」と考えた時、
その「食生活」は自分にとって目的なのか方法なのか理由なのか、
明確にしてみる、ということを考えてみましょう。

[目的の場合]
・未経験の食生活を試みることで、新しい価値を発見したい、など。

[方法の場合]
・理想の食生活が家族などのために実現されるなどの効果の発生。

[理由の場合]
・心身の健康上の必要などから、食生活を変更する、など。

食生活に関して、思考の理由が三要素のどれにあたるかは、
自明のことが多いように思われます。
しかし、三要素それぞれの項目を埋めてみることで、
自分で気づいていなかった活動の発生ないし可能性について、
新しい発想が生まれる可能性は高くなります。

また、思考における様々な錯覚から自己を守るのにも、
KN法は利用することができます。

例えば、ある人が「世の中、金だ。」と言ったとします。
その場合、その人は、自分の【目的】として金を求めているのか、
社会の【方法】としての金の影響力について訴えているのか、
他者を活動へとうながす【理由】として言っているのか、
判定すると、錯覚を回避しやすくなります。

また、この目的・方法・理由を、説明なしに入れ替えていくのは、
詐術(人をあざむく方法)によく見られる特徴です。

もっとも、思考の訓練をしていないために、その人自身でも、
目的として言ってるのか、方法として言ってるのか、
理由として言ってるのか、分からなくなっている場合も、
多く見られますので、留意が必要です。

残念ながら、日本の教育の過程には、一部の専門を除いて、
発想法や論理学が含まれていません。
学べば飛躍的に思考力がUPするにも関わらずにです。

言いかえれば、KN法のようなシンプルな方法でも、
活用することで、思考の効果を向上させることができるのです。
KN法は無料ですので、ぜひご活用ください。
(※他者に紹介する時は“KN法”と申し添えてください。)


2010-01-10公開
 
 
     (C)Copyright 2010 Kyou Nissho. All rights reserved.

理性に主軸のある思考方法

前回の記事で、原因ないし理由から、他の原因ないし理由へと、
直接に私の思考が移行しているのを、私自身で観察することができ、
驚いています。
(理論的には12年前からとらえられていましたけれども、
 これほど明確に現われるようになったのは最近です。)

もちろん、
感性も悟性も無用に原因ないし理由を行き来する技法がある、
と申し上げるつもりはありません。
原因ないし理由を思考すると同時に現象になる、
といのは、形而上学で「神」と定義されるものです。
人間は神にはなれません。

ですので、
私が原因・理由から他の原因・理由に移りうるのは、
前の原因・理由から、後ろの原因・理由について、
感性・悟性において訓練された思考力がすでにある場合、
ないし、訓練された思考力の組み合わせで推理される場合、
なのも当然です。

しかしながら、感性→悟性→理性、という思考プロセスに対し、
a)理性→悟性→感性、あるいは、b)理性→感性→悟性、という、
理性を積極的に主軸に可能性を展開する思考法があることを、
実感できているのは、やはり心が躍り(おどり)ます。

もっとも、可能性を直接に表現しなくても良いのならば、
心象において、ないし創作の過程において、例えば、
a)は詩人がとりうる方法で、b)は音楽家がとりうる方法です。

詩や音楽の訓練をつんだ人はガラス玉遊戯の習得も速い、
というとらえ方もできると思います。

理性の芸術であるガラス玉遊戯の最大の特徴は、
図式法(このブログでは球型遊戯の手法)により、
理念(自由などの超越的概念)を客観化するところにあります。
言いかえると、図式法を十分に経験していない人には、
球型遊戯などが展開されても、何も感じられないことがありえます。
(感じられなかったとしても、適性のことで、個性の範囲です。)

主観的妥当性や合目的性という、人間が本来持つ能力を、
可能性による理性領域の芸術のために用いる方法を整理したところ、
理性能力を独立で働かせる訓練が可能になった、ということを、
どのくらい多くの人々が受け入れていくことになるでしょうか。

法や常識にのっとるのはその人その人の責任です。

なので、いまの私が、徐々に人々との関わりを深めていくとき、
まず良識にもとづいていけることを、幸せに感じているのです。


2010-03-29公開
 
 
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力と作用

力は所有できるもので、操作できるもの。
作用は関与しているもので、どこにでも生じているもの。

人の行為は常に力と作用とのなかにある。
作用が万人に生じていることを知る者は、
世を育てる作用について、自分を閉ざしてはいけない。

行動は人に属する。

どの人にも道理があり、道理を反映する資質や行為は、
公正さの恩恵を受けるべきである。
そうでなければ、人類の発展は失われてしまう。

作用は関与しているもので、どこにでも生じているもの、
私にも誰にでも起こるものとする時、あいかわらず、
道理は判断の基準となっている。

そう思わざるをえない朝ではある。


2010-05-15公開
 
 
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方法の「式」

東京にいます。明日、関西に向かって移動します。

可能性の芸術から作用の技術へ、昨年からの発見を検証するのが目的です。
と言いますか、もう検証する必要も無いほどの自己信頼を得られました。

一人で神社や庭園を観てまわったりする程度で何が分かるか、
と思う人もおられるかもしれませんが、正しくは、
私が観ているのは神社や庭園というよりはむしろ、
私の内に記述されている方法の「式」です。
 
 
今日、観てきた、東京の浜離宮の写真二枚です。

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ブログまわりしたいのですが、活動力を使い果たしながら、
日々生活しているのです・・・。


2010-05-31公開
 
 
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力と作用の循環

下の図を見てください。
中国の伝統医学で用いられる陰陽五行図です。
私たちが漢方薬と呼ぶ薬は、この木火土金水と陰陽の関係にそって、
用いられるそうです。
また、木火土金水と陰陽の相関は、医学以外でも用いられるそうです。

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この陰陽五行の相関関係については、インターネットで調べることができます。

さて、中国人は陰陽五行を宇宙の原理と見なす方法を追求してきたのですが、
私たちは陰陽五行をどのように用いるのか、詳しく分かりません。
しかし、自然の作用と力とに、育てる流れと弱める流れとがあることは、
分かります。
また、それらの流れが春夏秋冬や衣食住や昼夜などの要素で把握されることも、
通常のこととして経験しています。

途中で補足するのも何ですが、
中国のこの陰陽五行の図は古来より日本に入ってきていました。
もっとも、その用い方は分からなかったのですが。
そして、昔の日本人は、陰陽の二気ではなく、
万物は一気によって成っていると考えました。
日本の思想(相良亨著)では、この一気を「物即理」「おのずから」と
称されるなかで用いられてきたと説明しています。

日本人にとっての「理であるおのずからの「節理」の現れ」を、
陰陽五行の「原理」の現れで考えてみるのは、
節理は直感的であっても概念の整理が難しく、
原理は適用は難しくても概念の整理が簡単になりますので、
今回の記事を簡単にまとめるため、陰陽五行相関図を説明に用います。

まず、図の「流れ」を、「力」と「作用」に分けて考えてみます。
力も作用なのですが、現象世界での経験を考える場合、
作意のあるもの、例えば金・労働などは力に分類し、
自然の現象、例えば原因と結果などの必然性や妥当性は作用に分類すると、
判断がしやすくなります。

ここから、陰陽五行の要素とは関係なく相関図を用います。

相関図の木火土金水の五つの要素を春夏秋冬など任意の要素に置き換えて良く、
育てる力・育てる作用・弱める力・弱める作用があるとして良い場合において、
一つの要素からは二つの流れがあり、それぞれの流れに作意と自然とが有る、
あるいは無いことになります。

私たちが現象世界において、
相関図の一つの要素位置から次の要素位置にある結果を求める場合、
どの位置に作意(力)あるいは自然(作用)を用いたかに関わらず、
その要素位置から他の要素位置に向かって、育てるあるいは弱める、
力あるいは作用が及ぼされることになります。

例えば、ある地域がある経済活動に投資(という力の利用)をしたとします。
その成果は、力としては投資した地域から主に返ってきます。
他方、活動への投資と利益の回収を作用として見た場合、
その作用が他の地域でも起きうることと、類推されうる作用が他の地域でも
起きうることと、類推されうる他の活動者において他の作用が観察され、
観察された作用を相関図に組み込んでも相関図が安定している場合などが、
有り得、あるいは有り得なく、有り得ない場合は相関の発展が見い出され、
つまりどのような投資活動も、あるいは経済活動も、
相関図の充足に向かうことに気づくでしょう。

注目したいのは、この考え方では、有り得る場合も有り得ない場合も、
相関図に関しては充足に向かうということです。
つまり、理論上では「不敗の方法」がありえる、となります。

もっとも、原理とされている中国の陰陽五行でも完全な不敗は無く、
まして、いま私がお話ししている節理の方法はさらに不安定です。
それでもさらに、節理の相関を用いる場合、現在でも、
いくつかの条件がおのずと明らかになります。

1.相関に用いられる要素は、育てる・弱める・力・作用について、
  循環を形成するものである必要がある。
2.得られている相関からの利益の多い少ないに関わらず、
  育てる・弱める・力・作用は相関の外にも及ぶことに留意すべきである。

もう少しありますが、ここでは控えることにします。

得られることについて、もっとも重要なのは、節理の相関に関しては、
その努力は相関に関与する活動者の間での力と作用の還流に寄与するだろう、
ということです。
たいていの人間の相関関係には我意が入りますが、我意は力であり、
作用は相関を走り続けるので、還流は導かれることになるでしょう。

また、自然の作用がいかに大きな広がりを持っていても、
人は自らの力を用いて生きなければなりません。
ここで大切なのは、どのような作用があるかを知っていることで、
自らの力の有効性や成果への期待の確からしさは上がる、
ということです。

今回の記事は、私自身の経験にともなったものであるとはいえ、
理論的な部分の多いものですので、効果をお約束するものではありません。
また、ご使用に責任を負うものでもありません。
一つの考え方と、用いる人の責任や素養とが、
同時に満たさせるとは限らないからです。

しかしながら、この記事を読まれた方に何かの発展の寄与があるのでしたら、
私自身もより良い世界に向かっての活動に参加していることになり、
私の活動が私自身の満足においても確認されうるものと理解いたします。

急いで書き上げた文章ですので、
考えの伝わりにくいところもあったことと存じます。
このテーマは、今後も継続することと思います。


2010-06-04公開
 
 
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