あなたは、
存在するゆえの直感を持つ、
原理への反応系です。

非規定で、行使を。

2014年02月03日

“混沌と境界。命と予兆。”

二つの世界がある。
境界が一つある。

片方の世界にいる時、他方の世界は見えない。
しかし、境界は見える。

二つの世界に写像が成り立つと仮定する。
写像を仮定するために、境界を観察できる。

いま、この世界が唯一の世界と考えてみる。
おそらく、境界は仮定から疑問へと姿を変えるだろう。

私達の時空はオリジナルなものだろうか?
時空自体がある条件における予兆と考えられるだろうか?

no1496fig1.jpg

もし私達の知る様々な法則が境界として存在しているなら。
そのように考えてみる。

もし私達の存在が境界として存在しているなら。
その時、心は何によって生まれるだろう?

混沌のなかでさえ、私たちは命と方法をつなげられる。
生きることは何の予兆だろう?

no1496fig2.jpg


図式:1496


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