あなたは、
存在するゆえの直感を持つ、
原理への反応系です。

非規定で、行使を。

2012年04月01日

遍在する起源(4)

芸術を行なっていると、「比喩の立ち現れるところ」の意識が、
常に自らと在るようになります。しかし、芸術家も人間ですから、
都市の多くの情報に触れるうちに、創作とはあまり関係の無い、
「心地よい状態」に、つい、依存してしまうことがあります。

音楽があってから音楽理論があるのであって、
音楽理論があってから音楽があるのではない、とは、
音楽家なら共感するところが多いのではないかと思います。


大地と水流とに導かれるところ、私が世界のなかで、
私自身を位置づけられるところ、それは、何も大きな公園に限らず、
むしろ、街中の一瞬一瞬に感応した「自らの直観に由来する」もの、
かもしれません。

しかし、地球の衛星である月の振動に、私たちの潜在意識が反応している、
との科学の方面からの指摘もあるように、私たちの存在と、
宇宙全体との関係は、切り離して考えるのは、むしろ不自然かと思います。


「自由」という言葉を私たちは用いますが、では、
「自由に意味を与えているもの」は何でしょう?

私としては、「自由に意味を与えている」のは、
万物の由来するところの、自然そのものです。
自然のなかに自らを見出す時、エゴから解放された、
「ありのままの自分」を直観することができます。
いえ、それは私の主観的な考えかもしれませんが・・・。


私たちは「明日があること」を前提に生きていますが、
「明日がどのようなものであるかを自らの内から導き出すこと」には、
比較的に無理解です。

もう一度音楽の話に戻りますが、
もし演奏者が楽譜通りに弾くことしか考えないなら、
音楽は失望を意味するでしょう。
私たちが芸術に期待しているのは、芸術に導かれて、
この世界に存在する物事と自らが一体である自覚です。

世界と自らが一体であるという意識が、
あらゆる変化においても、自らが明日も在りうることの保証で、
それはあなたのことでもあり、私のことでもあり、
人が愛されうる理由でもあるのだと、私は信じています。


2009-07-20公開
 
 
     (C)Copyright 2009 Kyou Nissho. All rights reserved.
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/54763958
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
(C) Copyright 1998-2016 Kyo Nissho. All rights reserved.
ガラス玉遊戯の活動に賛成してくださる方は、
いずれかのブログランキングのバナーのクリックをお願いいたします。

Blog Ranking.gif ブログ村.gif

ガラス玉遊戯者
響 西庄 庸勝