あなたは、
存在するゆえの直感を持つ、
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非規定で、行使を。

2017年03月13日

変化への先験的取り組み

夏目漱石が弟子に
「良い小説を書きたいなら数学を学びなさい」と伝えたことを
かつて聞いた。
それで、当時私は、
日本語と英語の「我輩は猫である」の書籍を購入した。

「我輩は猫である(I am a cat)」で、
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」を認識するなら、
自覚(I)に「知性的実在」を得たと認識できる。
これにより、
「猫は知性的実在である」という「系の一回目の置換」。
「a cat」で、
「全ての知性的実在の特殊例である」という「系の二回目の置換」。

「名前はまだ無い(Yet I have no name)」で、
「社会における知性的実在の認識はまだ不十分である」という
「系の三回目の置換」。
これを夏目漱石は一行でやってのけた。
その一行の間、「日本語(英語)自体」に変更は加えられていない。

私がガラス玉遊戯の図式法に行なっている
「所有している数学の本(における成果)の適用」は、
これに似ている。

しかしながら、残念なことに、当時、
働きながらガラス玉遊戯の実現に取り組んでいたため、
「我輩は猫である」については、読み進めることができなかった。

夏目漱石(漱石夏目金之助)や森鴎外(鴎外森林太郎)も、
明治において、
古来の日本の英知と近代化のための西洋の英知の関係の解決を
目指したのだと私は認識しているけれど、
「明治にそのような挑戦があった」との認識から出発し、
タイム・スケールをさらに大きくとった当時の私の取り組みを、
人生の時間が有限であることから、
私は否定はしない。
恩師井手賁夫の精神性(真実への信念)の影響もあったと思う。
私が20代のころである。

一方、、
私は「(江戸時代におけるアメリカからの)黒船来航以来の出来事」に
匹敵する変化が現在起きていると認識している。
ニュース記事から取得される変化を見ると、日本人総体として、
この変化に応じる意欲ないし意思決定をしたように感じられている。


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「先験的な目的の一つ」への「数学的補助手段(先験的補助手段)」

ある数学の本を基礎的な説明である前方からと、
結論である後方から交互に読んでいた。
ある「先に解きたい他のテーマ」が得られたので、
数学の本の「問題」で答えを見た。
「解ける部分は解いて、解けない部分は未解決と答える」
のが答えだった。
これは少なくとも数学としては「正解の一つ」であると思う。

なぜなら、(カントの「純粋理性批判」によると)
「数の総合はあらかじめ先験的」であるので、
「未解決な部分」が「先験的な目的の一つ」である時、
「数学的補助手段(先験的補助手段)」が述べられれば正しい。
「数学的補助手段」は「既存の成果」を含む。
そして、現在読んでいる章の特徴でもある。

先験的(ア・プリオリ)という言葉を続けたので、
私自身の課題について経験的(ア・ポステリオリ)の領域を「見て」みた。
「先に解きたいテーマ」は
「第三図式法と数学の関係を検証するために用意した系」であり、
これが「消える」ことを期待していた。
消えた。


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