あなたは、
存在するゆえの直感を持つ、
原理への反応系です。

非規定で、行使を。

2016年09月03日

本質の適用について、感覚の再獲得。

変化を構成する現実の力における反応と、
ブログなどで情報として確認される反応とが、
総体的に動機づけになり、
人々がガラス玉遊戯をいかに行なうかをイメージした。

第一図式法について改めて考えると、
しばらくの間、迷路にいるように感じられた。
その感覚に対し、
第二図式法の進展は大きすぎるように感じられた。

その感覚の後、
合目的性の意味が改めて獲得された。

技法は常に進化している。
その進化は本質を意味づける。
しかし、
可能と不可能の境界を超越した最初の技法(第一図式法)への
本質の意味づけを、
私は習慣にまかせていた。

「用いているのに、感覚が応じていない。」
それが第一図式法の応用の実践の範囲を狭くしていたように
思い出される。

人生の現実の進展が私の感覚から分離して感じられたのは、
公開済みの第一図式法の使用について、
習慣により私の意識の範囲が狭くなっていたためだ。

高次の技法の獲得には意味がある。
一方、最初の技法にも本質が存在していることに、
慎重であるべきだと意識された。

第一図式法を用いた最初の十回ほどでは、
一回のガラス玉遊戯に一ヶ月ほどかけていた。
進化は大切だけれど、
本質の実践は常に意識されている必要がある。


(C) Copyright 2016 Kyo Nissho. All rights reserved.
posted by “響” at 18:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 記録
(C) Copyright 1998-2016 Kyo Nissho. All rights reserved.
ガラス玉遊戯の活動に賛成してくださる方は、
いずれかのブログランキングのバナーのクリックをお願いいたします。

Blog Ranking.gif ブログ村.gif

ガラス玉遊戯者
響 西庄 庸勝