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2016年04月03日

ガラス玉遊戯と300年の過程の把握。

小説ガラス玉遊戯では、
退廃した時代精神に対抗する役割として、
ガラス玉遊戯が描かれている。

ガラス玉遊戯では境界の除かれた精神的成果が
超越性の顕現のため用いられる。

この「過程の評価」がいかになされるか?

つまり、
「超越性がいかに超越性として認識されるか」について、
小説では音楽に見られる精神の崇高さと、
東洋の瞑想術が有効とされている。

ガラス玉遊戯の魔術記号を生み出すには、
第一図式法より第二図式法が適している。
それでも、300年間、
魔術記号は進化を続けると考えた方が良い。

日本は2676年の一貫した歴史がある。
その「歴史に反応した精神性」が超越性に適している。

日本人の多くは、
一見簡易なパートタイムの仕事にも哲学的見地を持つ。
それでさえ、生きる姿勢には不十分と思い、
言葉にすることをためらう謙虚さが現われる。

そもそも、
物事を把握する尺度が大きいのだ。
しかも、それが当たり前になっていて、
自覚が対応していない。

説明を振り返ってみる。
300年の「過程の評価」がいかになされるかについて、
日本人は有効な精神性を社会的遺伝として継承している。

20160403皇居の桜07.JPG

皇居の桜を楽しみながら、
その大きな社会的継承について感じていた。


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posted by “響” at 18:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 記録
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